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生まれ月の2月は、
新年の浮かれ具合もすっかり吹き飛んで、
年度末に向けてのバタバタ感に追われ、
あっという間に流れていく月だ。
今年はたくさん雪が降った。
多かれ少なかれ2月の東京は雪が降ることが多い。
自分の生まれた1985年も同様だったようだ。
(物心がついていないので、親の話が頼りだが。)
出生してすぐは小金井市にある公団アパートに住んでいたが、自分の記憶にはあまり残っていない。
生まれてからほぼ、今パソコンを打っている実家で暮らしてきた。
転職してもうすぐ三カ月になる。
社会人になって三度目の職場だ。
割と自分の中に確固としたものがある方だから、
外には出さないが、人間関係には気を遣う。
ジレンマはどこにいってもある、面倒くさい人間である。
たかが平日、五日間。
されど平日、五日間。
いつまで生きるかはわからないが、
人生80年と捉えるとすると、ほんの少しの時間。
いわば、屁でもない時間。
そんな時間、一日一日が、自分にとっては必死だ。
特に今週はそうだった。
色々な人の助けを借りて、ついに旅に出ることになった。
ここでいう旅というのは比喩であるが、
自分にとっては旅の始まり。
社会人になって、いつだったかは忘れたが、
沢木耕太郎の深夜特急を読んだのだった。
旅に憧れはあれどもパスポートはないし、
何に使ったかも忘れたがとにかく金が無かったから、
文章で異国の地に飛び回ろうと思って、夢中で読んだのだった。
そのあとがきに、沢木氏が初めて海外旅行に出たのが26歳だった、と書いてあったのだ。
それがずっと忘れられず、自分は26歳になった年、
仕事を辞め、音楽と向き合いたいと思い、フリーターになったのだ。
とはいえ、時間ができれば、お金がない。
しかし、工夫と人の力を借りながら、
自分にとって「楽しい」と思える生き方を探す時間となった。
もしかするとフリーターの期間が、
今までで一番努力したし、一番挑戦したのかもしれない。
それでも亀の歩みの自分なので、他人と比べればハナクソくらいかもしれないが、
自分にとってはとても有意義な時間だった。
そして、再び今、正社員をしている。
自分の中で葛藤しながらも、とても前向きに決断したのであった。
やっと社会人としてスタートしたような気がするのである。
そして、自分の夢に向かっても、更に一歩踏み出せたような気がする。
遅咲きにもほどがあるのかもしれないけど、
今がタイミングだと、すごく実感する。
ここから始まる。
一日一日、なんとかなるさ。
“明日は明日の風が吹く”精神で、
一日の終わりはホッピーを飲みながら、
すべて忘れて布団に入るのだ。
梅もちらほら咲いてきた。
春は、すぐそこだ。
今もデスクの傍らに、
キンミヤ、ホッピー割りのグラスがある。
カラリ、と氷が鳴る音が心地よい。